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新宿歌舞伎町の居候

情勢が絶望的だったことに加え、体調も崩して、東京へ舞い戻った私には、再び政治に挑戦する手掛かりは何もなかった。それどころか仕事もなかった。そんな私を温かく迎えて事務所に私の机と椅子を用意してくれたのが、新宿歌舞伎町のT氏だった。T氏は不動産の売買やもめごとに介入する、いわゆる仕事師。アウトローではないが、アウトロー顔負けの迫力をみなぎらせて、新宿界隈を肩で風を切って徘徊していた。

このT氏の事務所に居候していたのがS氏で、こちらは本物のアウトローだった。政治団体を持っており、彼の肩書はその団体の総裁だった。S氏がT氏の事務所の居候になったのは、何かの件でS氏がT氏を脅しに乗り込んだ際、逆に意気投合して友達になったからである。

私とT,S氏とは、それぞれの客が来訪した際、後の二人は部下の演技をして、それぞれを立てる約束をした。私の客が来たときは、両氏は私を先生と呼ぶ。T 氏の客が来たときは、後の二人はT氏を社長と呼ぶ。S氏の客が来たときは、後の二人はS氏を総裁と呼んだ。

面白い日々だった。普通の市民の世界から外れているが故の妙な解放感があった。二人とも気が合った。だから、私が横浜市会議員に挑戦することから、再び政治の世界に戻る決意をしたとき、二人は私を止めた。

「米田さん、そんな人にぺこぺこ頭を下げるような稼業につくのはやめなよ。アンタなら新宿でひとかどの男になれる。俺たちと生きようよ」

正直な話、一瞬、迷った。あの時、新宿の男になる道を選んでいたらどうなっただろう。

人生には、常に分かれ道があるのだ。T氏はのちに住宅販売で成功し、バブルがはじけた後も不動産関係の事務所を維持している。S氏とはやがて連絡が取れなくなった。彼は獄につながれたこともあったが、出獄したのち行方が分からなくなった。家族を捨てた天涯孤独な身だった。老いた身でどこで暮らしているのだろうか。

湯島グループも忘れ難き人々だ。東京の湯島に行きつけの居酒屋があった。その常連にかつて一流企業の経理課長で、会社の不祥事の責任を一身に背負って退職し、その労に報いた会社がお膳立てしたいくつかのビジネスをやっているY氏がいた。その人が私を気にいってくれた。なかなかの教養人で、政治、歴史などいろんな分野で話も合った。彼は私の政治志向を知り、湯島界隈のネオン街関係者による後援会を作ってくれた。どこでなんの選挙に出るのかも決まっていないのに・・・

しかし、その頃出会ったY氏の子分のような存在のM氏が、やがて私の国政出馬に大きな役割を果たすことになる。