横浜市議への決意
私は横浜の大学を卒業している。大学の先輩で横浜市議会の重鎮とつながりが強い人物がいた。この人物が私のことを聞きつけて、「国政志向を持っていることは知っているが、政令指定都市である大都市横浜の市政も面白いよ」と横浜市会議員への挑戦を進めた。私が卒業した大学は規模が小さく、卒業生は総じて平凡なサラリーマンの人生を歩む。政治家になる者などいない。この先輩は同窓生から政治家が誕生することを熱望していたのだ。ニーズがあればこそ、期待も集まるものだ。卒業生に政治家がたくさんいるような大学だったら、私が期待されることはなかっただろう。
私は横浜市議会に挑戦する決意を固めた。しかし、選挙は厳しい。まず、私は横浜の生まれではない。妻は東京の生まれである。大学は横浜でも、全国から学生が集まってくる大学で、卒業生は全国に散ってゆく。加えて、政治活動を続けるための資金がない。つまり、地盤、看板、カバン、ゼロ。地縁、血縁無しの徒手空拳の候補だった。
欠陥を一つ一つ埋めていかなければならない。まず、どの選挙区から出るかだ。横浜市議会は区毎に選挙区が設定され、議員定数が決まっている。政令市だから市の権限が大きく、市会議員は県会議員よりも政治的には格上で、衆議院候補の有資格者だ。激戦である。
横浜市は郊外区を中心に東京通勤の人口が急増中で、分区により区が増えることになっていた。私は、東海道線と横須賀線が通る戸塚区に目を付けた。東京通勤客がすこしでも多いほうが落下傘候補には戦いやすいと思ったからだ。戸塚区は分割され、あと二つの区ができることになっていた。
区ごとにある政党の組織も分割される。新しい候補者も必要になるだろう。社会組織全体が再編の時代である。混乱の時代である。
混乱の中にこそチャンスありだ。京都の油売り商人だったといわれる北条早雲も、戦乱相次ぎ規制の秩序が崩壊している関東に下って、ついには関東全域の支配者となった。
自民党の公認を目指してはいたが、簡単ではない。先述の先輩から市議会自民党の重鎮を紹介されたが、戸塚区のある地域に住んで、そこでまず名を挙げろという。その地域の借家に住んで活動を開始した。駅前の不動産屋で家を探してもらったのだが、不動産屋に「市会議員選挙に出るため、東京から引っ越す」というと、「あなた頭がおかしいんじゃないの?市会議員選挙というものは、保守系の場合、金も地縁血縁もある代々の旧家の御曹司が出るもんだよ。あなたじゃ無理だよ」と言われた。
あとでわかったことだが、その地域は保守系の票も集める野党の人気代議士の住居があるお膝元だった。そこで、落下傘の新人が名を挙げられるわけがない。私は無所属の戦いになることを覚悟し、安い中古車に「明るい横浜、住みよい戸塚」と大書した看板を付けて戸塚区中を駆け回り、捨て身の戦いを開始したのである。