目次16 / 21
16

徒手空拳の戦い

当初は、変な奴が区内を走り回っていると言われた。地元の選挙通の間では、当然、泡沫候補である。何と言われようと、政令指定都市横浜の未来と、東京通勤人口が急増する戸塚区のあるべき姿を説き続けた。そんな私に駅前商店街のある重鎮が目を付けた。

「あんたみたいな候補は、保守系では久しぶりだ。ここの保守政界は基本的には農村社会で、市会議員の席に空きができると、代々の地主階級の適齢期の者が立候補する。ずいぶんとカネも使わなくてはいけない。だから、当選しても働かない。名誉職なんだよ。その結果、バリバリ活動する野党の代議士とその系列の地方議員に保守票が流れてしまうんだ。

でもあんたは、市会議員になることだけが目的ではなく、市会議員になって何かをしようとしている。気にいった。応援するよ」

古い農村社会に上塗りするように、大手企業の工場もあり、東京通勤のサラリーマンも増え、戸塚区は要するに現代日本に生きる人々が混在する地域だった。後援組織を作るのが難しい社会構造だ。勢いのある野党代議士は、他県出身だが、戸塚区内の工場の労組幹部出身で、県議を経て衆議院に当選した人物だった。地元住民の陳情も積極的にこなし、さまざまな団体の行事には必ず顔を出す。

一方、自民党代議士は官僚OBで地元に住まず、ほとんど顔を出さない。この野党代議士が旧農村部以外に支持基盤を作っただけでなく、保守の基盤である農村部にも支持をひろげたのも当然の成り行きであった。

当時、衆議院は中選挙区制で、横浜市には二つの選挙区があるだけだった。その一つに戸塚区が含まれていたのだが、戸塚区は野党の人気代議士のお膝元だったのだから、私もとんでもない所に飛び込んだわけである。

しかし、じわじわと支持者が増えていった。「絶望的な戦いなのに、あいつは勇気をもって挑戦している。応援したい」と、若い世代や、新住民の間で支持の輪が広がっていった。農村部は現職の先輩市議の地盤だったが、構わず押しかけて、地域の有力者に支持を要請して回った。来るなと言われても、何度も訪ねた。農作業中の畑にも押しかけて、収穫した野菜の泥落としを勝手に手伝った。しまいには、「応援するから、もう来ないでくれ」と言わせ、後援会名簿に署名してもらった。

それだけ頑張ったが、少なくとも1万票程度は当選に必要な選挙に勝つためには、何かが足りない。ましてや自民党の公認を取るには大義名分がない。ゲリラ戦だけではだめだ。保守正統派の看板が必要だった。

そのチャンスは突然、巡って来た。私は、地縁血縁のない所での選挙戦を戦うために、東京の知人にも、横浜市戸塚区の住人の紹介を求めて歩いた。その中に、松本の高校の先輩であるゼネコンの幹部がいた。その先輩が、「うちのある工事の下請けに、戸塚区のN建設会社がある。その社長が、消防団の世界では超大物で、消防の全国組織にも顔が利く人らしい」

コレだ!私は内心で叫んだ。消防団は日本の地域社会で統制のとれた伝統的組織だ。とくに農村的社会では、有力者をはじめ各階層の人々が団長、副団長、班長などと階級的な絆で結びつきができている。それが、私の支持団体になれば・・・。私は、紹介を受けて、さっそくN建設社長に面会した。