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貧しさが育んだ知への渇望

高校に入学してほどなく、私はたちどころに勉強に身が入らなくなった。県の文化財に指定されている赤煉瓦のゴシック様式の校舎の屋上から、松本市街を見つめながら、物思いにふける時間が多くなっていった。学校の勉強には身が入らなかったが、歴史や文学を中心に、本はめちゃめちゃ読んだ。その分野に限って言えば、早くも大学生並みだったろう。

各科目、まんべんなく学び、テストではいずれもそれなりの点数を取る。それが、正しい生徒の姿なのだろう。しかし、人間は機械の部品ではない。関心の分野がアンバランスな時もある。人間の成長は、長いスパンで考えるべきだ。エスカレーターを順調に上がった人間が平凡な人生を送り、外れた人間が大きな功績を遺すということは、人間の歴史でよくあることだ。

とはいうものの、第一志望の国立大学の受験は、見事に失敗した。家が貧乏だったから国公立以外はダメ。浪人しても予備校にはいけない。生まれた町での一年間は、故郷の自然の素晴らしさをあらためて認識したときで、勉強そっちのけで、野山の散策や、サイクリングに時間を費やした。そして、恋を経験したのもこのころである。

かくしてますます学力は落ち、当初、まったく志望していなかった横浜の大学に行くこととなった。昭和42(1967)年4月、山河に囲まれた信州での少年時代に別れを告げ横浜へと旅立った。19歳であった。