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海を見た日 — 横浜への旅立ち

山国で育ったから、海を見たことがない。小学校の時に名古屋への修学旅行があった。その時、初めて海を見たが、自然や風景に接して物思う感性は未熟で、その記憶はさしたる感動を伴うもではなくなっていた。

しかし、大人になって見た横浜の海は強烈だった。下宿に近い丘の上から見下ろす海は青く大きく、巨大なタンカーが浮かんでいた。親に、「海を見ました」と大きく書いた葉書を出した。人間にとって、生きる土地の環境や風土から受ける影響は極めて大きい。哲学も宗教も技術も、文明はすべて風土の影響の下に発生した。山国で育った私が、海の見える街で青春を送ることになったのは、大きな意味があったと思う。

1960年代後半から70年代の青春は,世界的に波乱と混乱の時代であった。1945年に収束した第二次世界大戦。戦後の混乱の時代があって、そして新たな秩序が形成されようとするとき、先進国の学生たちを中心に、大学の運営に対して、あるいは政府の政策に対して、抵抗運動が広まった。その運動を激しくさせたもう一つ要因は、ベトナム戦争だ。

第二次大戦後、フランスから独立したベトナムは社会主義の北とアメリカが支援する南に分断された。南ベトナムでは、アメリカの存在を、フランスにとってかわった新たな帝国主義者と位置付ける、南ベトナム民族解放戦線が、北ベトナムと連携しながら南ベトナム政府と米軍に対して熾烈な抵抗を続けていた。

当時、世界の多くの若者たちは、社会主義対非社会主義のイデオロギー戦争というよりも、欧米帝国主義に対する民族独立の戦いととらえ、解放戦線に心を寄せ、世界中でアメリカの介入を非難するベトナム反戦の運動が広がった。

日本でも、連日、あちこちで学生を中心とするデモが行われていた。とくに特定の思想を信奉しているわけではない普通の学生も、街頭に出てデモの隊列に加わった。私もその一人だった。

いま思い返せば、まるで嵐のような日々だった。若者たちの一部は、南ベトナムの崩壊と北ベトナムによるベトナム全土統一に終わったベトナム戦争の終結後も、世界の革命を目指してより過激な活動へと向かっていった。しかし、大多数の若者は、それぞれの思いを胸に秘めながら普通の社会へと戻って行った。一般企業のサラリーマンとして活躍して企業の重役になった者もいた。あるいは大学に戻って学者になった者もいた。

そのいずれにもなれずドロップアウトしていった者もいる。わたしもその一人だ。特定の思想が世界を必ず良くするとは信じることができず、また従順に社会の掟に従ってエスカレーターを上がるような人生を送る気にもなれず、大学の授業をサボり、横浜の街をさまよっていた。

しかし、政治、哲学、文学等分野を選ばずめちゃくちゃ本を読んだ。そして大学では出会えない市井の底辺に生きる様々な人々との交流から、多くのことを学んだ。この世が、私たちの歴史が、無名の一人ひとりの人生の集積であることを知った。この時代は私にとって貧しくつらい時代だったが、その後の人生を方向付ける大切な時代だった。