男気と友情
Mの事件のようなことがあれば、必ず党内から、「候補者を替えろ」という声が起きるものだ。しかし、誰も、私に立候補を辞退しろとは言わなかった。しっかりと抱き込んであったからだ。私の浪人中に地方議会選挙があったが、私が提供した資金で地方選を戦った者もいた。
私が当選した時、Mは拘置所に身柄を拘束されていた。人づてに、Mが私に会いたがっていると聞いて、私は拘置所に面会に行った。私が面会に行くというと、周囲は驚いた。今や、現職の代議士だ。刑事事件の容疑者で裁判を待つ身の人物に面会に行くのは好ましくない、というのだ。しかし、私は周囲の反対を押し切って、拘置所を訪ねた。
確かに、Mの経済事件のおかげで、私はたいへんな騒ぎに巻き込まれた。しかし、Mが昔、お互い徒手空拳どうしの時代、湯島の居酒屋で交わした約束を守ったことは事実だ。自己保身や世間体を考えれば、面会に行かないのが常識だろうが、私は常識よりも男気を通すほうを選んだ。亡き妻も、「面会に行ってあげな。そのほうが貴方らしいよ」と言って、私を送り出した。
Mは涙ぐんでいた。うれし泣きだった。自らは挫折したが、米田は見事に当選したと、心から喜んでくれたのだ。そしてMは言った。
「国会議員のバッジはどうしたの?胸に付けていないね。晴れ姿を見たいな・・・」
さすがに、議員バッジをつけて拘置所に乗り込むのは、私も躊躇した。拘置所に対しても迷惑だろうと思ったのだ。Mの気持ちが痛いほどわかり、私は何も答えることができなかった。
その後、面会できた喜びを綴ったMの手紙が届いた。手紙が届く前に、匿名の拘置所職員から議員会館にいた私に電話があった。
「先生、Mの手紙をただいま投函しました」
おそらく職務を逸脱する行為だったろう。放っておいても手紙は届くのだから。その職員は、友情を守って面会に来た私に共感を覚えたのに違いないと、私は思った。
Mはその後、長期の懲役刑を言い渡され刑務所に服役した。何年か後、出所したMとM夫人を食事に招待して慰労する機会があった。
その際、我が亡き妻も同席していたのだが、驚くべきことを知った。亡き妻は、Mが服役中、M夫人に毎月数十万円の生活費を送っていたのだ。私に黙って。
まったくたいした女だった。男には男気という言葉がある。女の場合、彼女のように粋でカッコイイ奴をなんと言うのだろう?わが妻ながら立派だと思った。結婚したばかりのころは、まだ赤ちゃん言葉で自分のことを名前で○○ちゃんと呼んでいた女が、世の中の酸いも甘いも嚙みしめて、腹の座った女に変貌していたのだ。
Mはその後、事業家として再起するため、様々なプロジェクトに関与し頑張ったようだが、うまくいかなかったのだろう。家族とも別れ、一人寂しく公営住宅で暮らし、数年前に亡くなったと風の便りで聞いた。人生はときに無情だ。やり直しは効かない。しかし、Mには、いったん事業に成功して、とてつもない金持ちになった思い出があったはずだ。逝くとき、「ああ、けっこう面白い人生だったな」と思ってほしかった。