政治への目覚め
まともな学生なら、銀行や商社から声がかかる学部だったが、私はドロップアウト組だから、どこからも誘いがない。ろくに出席しなかったゼミの教官に、ずうずうしくも就職先の紹介を頼んだら、ある銀行を紹介された。パンフレットを見ると、独身寮の大浴場がきれいで、食堂のメシもうまそうだ。一瞬、ひかれたが、辞めた。銀行員になっている自分の姿がどうしても想像できなかったからだ。
結局、新聞の求人広告で見た社会保障関連の出版社の入社試験を受験した。特殊な分野とはいえ、当時、出版社は人気があったので、大変な倍率だったが合格した。試験は論文のみ。文章を書くことには自信があった。読書の習慣の賜物だ。
文章を書く能力が評価されたのか、その会社の看板雑誌の編集部に配属された。厚生省及び労働省の記者クラブ詰めにもなった。しかし、不良社員だった。いつもニ日酔いで、出社は昼近く。仕事に自信があったこともあるが、何よりも学生時代以来の世間に背く根性が抜けなかったのだ。
この会社に入って、その後の人生の転機につながることが二つあった。
官庁記者クラブ詰めの際、ある省の新任政務次官の就任スピーチを聞く機会があった。政務次官は、国会議員が任命される。下手な演説であった。何よりも中味がなかった。その議員は、親の跡を継いだいわゆる世襲議員だった。選挙に当選できる基盤を自分で築いたわけではない。世襲をありがたがる民度の低い選挙民が当選させたのだ。「こんなバカでも国会議員になれるのか?こんなことではいけない。日本がダメになる」。心底そう思った。この時、自らが政治の道に進もうという思いの火種が胸の中にともったのだ。
政治に関心を寄せる素地はもともとあったのだろう。私の祖父は明治初期の東京で法律を学び、帰郷して政党政治確立のための運動に身を投じた。やがて保守政党の地方組織の創立メンバーになったが、自分は選挙には出ず、ひたすら他人の応援をした。その結果、城下町の庄屋まで務めた祖先代々の財産を潰した。その政治にかける情熱は私の血の中にも流れていたに違いない。