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徳間書店の日々

徳間書店で最初に配属された劇画雑誌編集部の同僚、鈴木敏夫とは毎日のようにつるんで、昼飯を一緒に食べたり、街をうろついた。鈴木はいつも鼻歌を歌いながら出社。机にじっと座っていたりせず、やたらに映画を見に行っていた。映画を見に行こうが、芝居を見に行こうが、酒を飲みに行こうがOK なんでも肥しにして、それがいい仕事につながればいい。それが徳間書店の社風だった。

編集部員各自が、好きな原作者と作画家を組み合わせた企画を提案した。私は当時超有名な劇画原作者・小池一夫に、それなりに各誌に執筆はしていたが売れっ子とは言い難い作画家Fを発掘し、時代劇を担当することになった。これはのちに伊吹吾郎主演で東映が映画化した。

映画製作にかかわって、撮影所のある京都に行く機会が増えた。映画監督をはじめ映画関係者と鴨川のほとり、先斗町の小料理屋で談論風発した。隣の席には有名な俳優が酔っ払って大声をあげ、あるいは著名な歴史学者の大学教授が編集者に囲まれてうんちくを傾けていた。京都らしい店だった。

伊吹氏とは後年、東京中央区の行きつけのうなぎ屋で再会した。数十年ぶりである。「伊吹さん、覚えていらっしゃいますか?」と声を掛けたら「覚えていますよ」と答えが返ってきた。彼がスターの座に上り始めた頃の思い出深い作品だったのだ。

それぞれに個性的な編集部員がセンスや教養を競って創り上げた雑誌だったから、作品のレベルが高い。出版業界で評判になったこの雑誌だったが、ほどなくして休刊になった。プロナ間で評判が良くても、売れ行きが良くなかったのである。

劇画雑誌の編集部が消滅して、そのあとは徳間書店の看板雑誌、『週刊アサヒ芸能』に配属された。事件、社会、風俗、芸能、そして政治経済、何でもありのエネルギッシュで個性的な雑誌だった。私はその特集部記者になったのだ。

毎週、編集会議で企画提出、担当記事決定、取材先のアポ取り、出張の場合は交通機関やホテルの予約、取材、帰社して原稿執筆、デスクのチェック、入稿。これが一週間のサイクルである。時には徹夜もある。一般に出版社の正社員は取材で飛び回ることはない。そういうキツイ汚れ仕事は外部のフリーライターにやらせるのだ。ところが徳間書店は、そんな殿様商売ではなく、社員自らが巷をかけ回るという主義。なにせ、カメラをかついで、記事に必要な写真も自分で撮るのである。毎日が充実していた。世の中にうごめく様々な人間の生きざまを知ることが面白かった。

1970年代の私の毎日はそうして過ぎていった。