目次9 / 21
09

松本での戦い

アサ芸編集部は、劇画雑誌以上に奇人変人の集まりだった。

取材先には荒っぽい筋もあったから、背中を切られて血を流しながら編集部へ戻って来た先輩記者がいた。しかし、平然として原稿を書き上げたあと、その先輩は木刀を持って仕返しに向かった。

編集部には徹夜用の仮眠室があって、仕事で遅くなったからというよりも、酒を飲み過ぎて泊まる不心得者が多かった。翌日になってもよいがさめず、皆が原稿を書いているのに、まるで仕事を妨害するように、机の上を意味不明な歌を歌いながら四股を踏んで歩く者がいた。しかし、皆は無視、黙々と原稿を書き続ける。アサ芸は完全に自己責任で、原稿は何があっても担当記者の自分が書き上げるしかない。そうでなければ、ページが白紙になる。人がわめこうが騒ごうが、かまっていられないのだ。

ものすごい読書家のKという先輩がいた。しかし、いでたちは教養人らしからぬ長髪で、袖口にやたらにたくさんのボタンを付けたスペインのフラメンコダンサーみたいなシャツを着ていた。実際に彼は、熱狂的なスペインマニアだった。いつも二日酔いで昼頃の出社。

ベテラン記者だから、後輩の若手の記事に筆を入れるデスクである。

担当する若手が記事を書き上げるのをデスクは待っているのだが、夕方になるとアサ芸のデスクたちは我慢できず会社近くの新橋や銀座界隈の飲み屋に出かける。そして、時々、酔眼朦朧としながら帰ってきて、後輩の原稿執筆の進捗状況を見に来るのだ。

ある時、くだんのKデスクが私の担当だった。完全に酔っぱらっている。私の原稿を読んで、「ああ、面白くないな」とつぶやくや、びりびりと破いて、また飲みに行ってしまった。

仕方なく、私は原稿の書き直し。しばらくしてデスクが戻ってきて、また原稿を破られる。

また書き直し。そしてデスクが戻って来た。今度破られたら、今日は徹夜で家へ帰れないなと覚悟した。デスクは酔っていたが、なぜか目つきはしっかりしていた。「米田君ね、この書き出しだが、どういう意味なんだ?」と聞く。

待ってました!と私は心の中で叫んだ。この書き出しこそ私がこれまでに培った教養を発揮した、文学的表現があふれている部分なのだ。

私がとくとくと意図を説明し始めると、彼はそれを遮って言った。「うちはね、君のための文学同人誌ではないんだよ。公園のベンチで寝ているようなオジサンがゴミ箱の中から拾って、ページをパラパラとめくり、引き込まれるような記事でないとだめなんだよ。説明を聞かないと理解できないような文章は文章ではない!」

私は、目からウロコが落ちる思いだった。

何人にも理解されやすい、すっと引き込まれる文章。以後、私はそんな文章を書くように心がけた。それは、大学の教授時代も、フリーのライター時代も、そして政治家になってからも役にたった。「米田の文章はわかりやすい」と、だれからも言われるようになった。

K先輩はのちに、スペイン放浪の旅に出るため、会社を辞めた。